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研究所だより(95)2015年7月31日更新


◎戦後、被爆70年、“おはなし魔女の会”のつどいに行ってきました。

 昔、高校で教えていた頃、NHK放送コンテストでみごと日本一になった卒業生から電話がありました。13年前、ストーリーテリングを学ぶ会を始めて、現在会員14名。保育園、小中学校、老人ホームなどで語っているそうです。今回、「戦後、被爆70年」ということで、初めて、放送局のホールで、「平和と児童文学ミニ講座」や「平和を奏でるハープ演奏」もまじえて、子どもも大人もいっしょにおはなし会をやるというのです。つどいには、ホールにいっぱい集まって、すてきでした。あたかも、安保関連法案たけなわのとき。日頃は全く目だたないけれど、全国各地に、地下水のように、平和や環境保護などについて考えたり、活動したりしている人たちが育っていて、この、ぎりぎり、肝心のときになったら、平和を守ってくれることになるのかなと思いました。その下地をつくるのも図書館です。 夜、電話がかかってきて、「久しぶりにゆっくりお話したかった。仲間たちとおうちを訪ねてもいいですか」。「すばらしかったよ」というと、ほんとに嬉しそうでした。還暦(?)すぎても、先生にほめられるのは格別嬉しいもののようです。それにしても、教えていたときほめてあげることが少なすぎた。とりわけ高校では過酷な受験指導で、しかることが多すぎたと思っています。講師、奏者たちも含めてうちあげをやるので、参加して、私(平湯)たちの運動の原点「長崎子どもによい本を!の会」のできたあたりの話をしてほしいということです。ここに関心をもってくれている人たちがいたことは嬉しいことです。

 金子みすずの詩の朗読も
 魔女たちの面々
◎長崎県立図書館、大村市立図書館一体型図書館の設計審査を傍聴しました。

 (1月遅れ)意匠など、およそのかたちやコンセプトを示してもらって設計者を選ぶプロポーザルという方式の公開プレゼンテーションがありました。県立と市立一体化というめったにない大きな図書館とあって、大手5社の意欲的な提案がありました。図書館計画を仕事としている私にも分かりにくいプレゼンで、傍聴者には勿論、審査員にもよく分からないままの方が多かったはずです。
 それはともかく、一昨年の9月24日から、10回にわたって長崎新聞に連載した私の提案は全く配慮されることもなく、この計画が進められていることを大変残念に思っています。長崎県の将来にとってとりかえしのつかないことと思いますので、かいつまんで述べてみます。
 長崎市には土地がないということなどもあり、空港のある大村市から、土地を提供して大村市立と一体型に、という申し出があり、いとも簡単にそう決まったようでした。その後、長崎の郷土史家などからの強い要望があり、110余万冊の蔵書の内、12万冊ほどの郷土資料だけはサテライト(衛星)館として長崎に残そうということになりました。
 そこで私は、郷土資料だけでは足りない。研究者等が使う専門的な研究調査用の資料は長崎に残すべきことを新聞で主張したのでした。理由としては、図書館は、一般市民が日常的に使うポピュラーライブラリーと、主として研究者等が使うリサーチライブラリーがあり、その研究者や物書きやマスコミや官公庁や私企業は、長崎市とその周辺に集中しているので、長崎市から遠く離れてしまうと、実際上利用が困難になるということです。
 長崎では、10年前に長崎歴史博物館ができたとき、県立図書館に収集されてきた、明治期の出版物まで、本のプロ(司書)のいない長崎歴史博物館に移されてしまいました。その後、8年前に、長崎市立図書館は、全国の県都で最もおくれてできたために、それまでに出版された本がほとんどありません。そして今回、県立図書館の大村移転で、郷土資料以外、すべて大村に移ることになると、明治維新以来150年ほどの間に日本で出版された本の内、140年ほどの間に出版された本は、、この県都長崎市の公共図書館からほとんどなくなってしまうことになります。図書館は知の殿堂といわれますが、県都長崎市が知の空白地帯になってしまうわけです。こんな例は全国に例がありません。
 この問題に関係のあるトップのお1人に特別に会っていただいて、「長崎市にリサーチライブ
 ラリーを残すことは死守してください」と頼みました。そうです。このことは「死守」してもらわなければならないほど重大なことでした。この問題が長崎県の将来にどれほど重大なことか、認識できている人が、一体長崎にいるのだろうかと思ってしまいます。長崎市立図書館の開館で、一般市民のポピュラーライブラリーへの認識は急速に高まりつつあります。しかし、知識層の認識は、「図書館とは、郷土史を調べるところ」以上に高まっているとは思えません。30年以上も前に、県都に図書館ができたところとははっきりちがうように思います。長崎市立図書館の開館がおくれたことは、長崎県民の図書館への認識を何10年もおくらせましたが、今度、長崎市からリサーチライブラリーが持っていかれることで、そのおくれをとりもどす可能性も全くなくしてしまったことになります。
 図書館についての認識は、いい図書館ができて、それを使いつづける中でしか養われるものではないようです。

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